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大分県日出生台リポート
大分県日出生台御祈念日誌     参考サイト     

米国海兵隊実弾砲撃演習の中止を求める祈念
二月二日(水)                            金枝 宣治(上人)
南無妙法蓮華経

 別府湾のかなたに四国の佐多岬半島がかすかに見える。晴れわたった本日の午後三時、酒迎上人様を先頭に、八名で今冬最後の寒行に出た。仏舎利塔から別府駅までの往復二時間あまりは住宅地や学校の間をぬい、時おり青い海や湯煙を見ながら快適に行進した。
 夕食時には、地元九州はもとより関東・東海・近畿・中国にいたるまで多くの僧俗が別府道場に集まつた。明日より開始される米海兵隊実弾砲撃演習に向けた『立正安国』の御祈念に、初日から馳せ参じた方々である。十余年前に日米合同軍事演習が開始されてから、今年で五回目となる御祈念の発願者酒迎上人様を先頭に、渋谷道場から森下・山本の両人、宇都宮道場から小生と青木完之信士、三河道場の長浜上人・桃尾滝道場の佐々木上人、宝塚道場より吉田弘子法尼、玉野道場の釘宮上人、八女道場の吉田法尼、玉名道場の佐々木上人、臼杵道場の松坂法尼、福岡の飯塚信士・信女、阿蘇道場の行徳上人・坂本法尼の十六名であった。ことに今回は関東・東海・近畿からの参加者に、地元九州の人々が喜ばれた。
 夕食後、酒迎上人様より日出生台の米軍演習に関する経過についてお話をうかがった。「日出生台柏標高六百メートル。湯布院・玖珠・九重の三町にまたがる火山性草原の台地であり、ゆるやかな起伏と見晴らしのよさに加え、約四千九百ヘクタールという広さのゆえに、日清戦争のころから半軍用地、半放牧地として利用されて来た」。「今回の在沖縄米海兵隊の演習は、沖縄の負担を減らすという名分で始められたのであるが、すでに十七億円かけて米軍の宿泊施設、炊事場などの建設が始まっている。日本全土を米軍が自由に使い、日本人をそれに慣らす目論見が、またたく間に実現されつつある今日、このことは沖縄の痛みをへらすのではなく、日本内地の沖縄化にほかならぬ」と酒迎上人様は指摘される。そこで「我々の御祈念はただ単に演習に反対とか、賛成とかの次元ではなく、『立正安国』の御祈念である」と強調された。米軍の砲撃ではなく、御題目と御大鼓によってこの大地を震動させなければと思う。
 海兵隊とは通常の陸海空軍とは別枠の、特別に訓練された殺人部隊、なぐり込み部隊である。先月二十五日には先発隊百十名が、二十八日には本隊百名が大分空港に到着。彼らは二月一日、別府市の児童養護施設「栄光園」を訪れ、遊具などを設置するボランティア活動をした。これらは朝鮮戦争・ベトナム戦争時より「栄光園」に奉仕する風習であるが、子供たちと遊んだ後、子供たちをも殺す訓練をするというのは、アメリカならではのジョークと受けとめるほかない。
                                                                                                                               合掌

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二月三日(木)                           金枝 宣治
南無妙法蓮華経
 私は日出生台を水源地とする駅水を飲んで生まれ育った。大分県北の宇佐市から周防灘にそそぐ駅館川の水である。小学校に入る前、両親に連れられて草深い黒土の日出生台に来て、米軍演習反対のデモに出た。ときに一九六三年であり、感慨が胸中をよぎる。ここから四キロ下流に親友が農業をしており、彼から送られてくる米をいまでも私は毎年いただいている。御祖師様(日蓮大聖人様)が故郷の安房国(現在の千葉県)を両親同様に「どこよりも大切である」といとおしまれたように、だれにとっても故郷は大切な存在ではないだろうか。
 日出生台の御祈念は朝八時四十分、別府道場を出立し、九時四十分より始まる。演習地正面ゲート前に「福岡防衛施設局米海兵隊実弾射撃訓練現地対策本部」と書かれた看板が立つ。背後の広場には大分県警のパトカー十三台、装甲車一台、ここで一時間撃鼓唱題する。時おり小雪が散らつく。この寒風の中の御祈念は、六十代・七十代の方々にはさぞつらいだろうと思いやられる。
 昼食の後、小野原のゲート前まで行進し、ふたたび座り込む。道の両脇は、いまはロープで遮断されているが、夏は緑濃い放牧地で物見高い牛が御太鼓につられて、ともに行脚してくれたこともあると、坂本法尼が語られる。しかしいまはゲート前に「射撃情報−無断立入禁止」と書かれた電光掲示板が立ち、ありきたりのニュースを知らせるかのように平然とテロップが流れていく。− 二月三日から十五日までの間、八日間(十一日を除く)午前七時から午後九時までの予定で、米海兵隊による実弾射撃訓練が実施されます。本日の訓練は午前八時より午後九時までの予定です。許可なく立ち入りはできません。− はてしない枯草の草原。南には豊後富士と呼ばれる秀麗な由布岳(1700メートル)、西のかなたには九州の屋根といわれる久住へと続く山並みが幻影のように連なっている。日出生台は、文字通り日の出・日没のよく拝めるところだろう。ここには視界をさえぎるものがあまりない。日本離れしたおおらかな風景である。筑紫次郎の名で知られる筑後川も、別府湾にそそぐ大分川も、瀬戸内へ流れる駅水も、ここを源流とする分水嶺になっている。
 午後二時、ふたたび行進すると小野原部落へ入る。桑畑・トウモロコシ、牛舎が多い。道の両脇には「米海兵隊演習反対」の旗がずらりと並ぶ。午後二時半、本日の最終地点、「ローカルネット」(地元演習反対市民グループ)の人々が立てた監視小屋に到着。ここでは′米軍の監視と、砲撃音を数えている。そしてタバコとアルコールは厳重に禁止されている。すでに現時点で四十発を撃ったとのことである。いったん帰山の途につき入浴。夕食を早めにとり、午後七時よりこの監視小屋の前で行われる「キャンドル・アッピール」に参加するために、防寒の用意を厳重にして出立した。出立に先立ち、酒迎上人様より説明があった。『キャンドル・アッピール』に参加するのは御祈念ではありません。したがって御太鼓は撃ちません。これはあくまで現地の人々を支援し、勇気づけるための参加である。 たとい御太鼓は撃たなくても、唱題なくとも、これは日本山の御祈念に通じます」と。
 総員約三百名、そのほかにテレビ・マスコミ関係の人々の多さに驚く。約四百個のローソク入りの紙コップで「PEACE HIJYUDAI」と文字が描かれ、われわれも合図によって灯りをともす。一種幽玄な荘厳さをともなって、ともされた文字は冬空のもと本当に暖かくあたりを照らした。この一灯一灯はここに集まつた人々の心に深く刻まれたことだろう。地元の青年の方がなつかしい大分弁で語ってくれた。「二年前、怒りと憤りで涙が出た気持ちをまだたもち続けていることを再確認した。この演習があたり前の現実として受け取られていくのが怖い。気持ちをひきしめています」と。日出生台の人見会の人々、ローカルネットの人々、その他市民運動の人々の精神力が、必ず軍事演習を阻止するだろうと信じ、我々もともに御所念に励もう。戦争への道をひた走り続ける国の難、故郷の難にさいし、御祈念にのぞむことをたまわり深く感謝申し上げます。
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二月四日(金)         山本 健次(上人)
南無妙法蓮華経
 早朝、眼下に別府湾、うしろを見あげれば、うす陽の中に白き宝塔様、そのうらに湯煙り。総勢十五名のうちわ太鼓が別府の空にこだまする。今日もなぐり込み部隊の米海兵隊員に法鼓毒鼓を撃って、御題目を聞かせよう。花岡山道場から吉田御上人様ほか三人参加。二十人近くの参加者による御祈念。 太鼓の音も力強くなり迫力を増す。おりからの粉雪が強風とともに吹きすさぶ。唱題の大声が寒風にふるえながら流れて行く。 正面ゲート前で一時間の御祈念。玄題旗(御題目ののぼり)を持つ手がかじかむ。手袋二枚重ねても冷たい。十二時昼食。暖かい太陽が顔を出して、光がみんなの顔にあたる。暖かい昼食となる。と、そのとき大砲の音が「ドドーン」と五〜六発鳴りひびく。その後、午後からは暖かな日和となり、何だか肩すかしをくったようで、御祈念のとき睡魔がやってさてつらいご修行となる。思わず眠りそうになったとき終了となった。 帰りの車から由布岳の雄姿を目の前に見る。この美しく雄大な景色の中で射撃訓練が連日行われているとは。富士山の場合と同じだ。こんなことを日本人として許すわけにはいかない。夜、吉田御上人様のお話の中で、「命をかけて御祈念をしないでだれが動く。どうして天が動く」と言われました。                 合掌
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(「天鼓」九月号より転載。)

参考サイト
米軍基地と日本をどうするローカルNET大分・日出生台 米海兵隊の 実弾砲撃演習の実態と住民のピースアクションが、詳細にわかる。